苦手意識

思い込みを克服する。

その思い込みがいいものであれば、いいのだけれど
自らにとって、足かせとなるものであればやはりそれを克服していかなければいけない。

僕にもひとつそんな経験があった。

僕は昔、国語が苦手だった…。
国語が苦手だったときというのは、正確にいえば苦手意識を持っていたときは、
当然、文章に向き合おうともしてこなかった。

ただ、そんな状況の中で…。

僕は新卒で入った会社にて営業を担当していた。
営業では仕事を取ってくるということはもちろんだけれど、クライアントとの契約交渉なんてものも同時にあった。
あるとき、クライアントとの契約書の取り決めを、大量にすることになったのだけれど、
契約書って甲だ乙だとか、わけわからないし、独特な言い回しで全然頭に入ってこない。
ただでさえ国語が苦手な自分にとってはもう本当に苦痛でしかたがなかった。

苦痛だったやるしかなかった。
僕は契約書を読み込んだ。

その契約著を何度も何度読み込んでいくうち、そのことに真剣に向き合っているうちに、
だんだんとそれがなにを言いたいのかがわかってくる。
そして、以外とたいしたことを言っていないということにも気がついてくる。
なんだ、ものすごい難しいことをいっているのかと思ったら、以外と、たいしたことはなんだな。

大量の契約書を読み込んでいるうちに、しっかりと理解ができたのだ。

そして、それと同時にこの経験を通して、国語への苦手意識が消えた。
もう少し正確に言うのであれば、なぜ自分が国語に対して苦手意識を持っていたかということがわかったのだ。

それはただ単純に、そのものに向きあおうとしないからである。

ただただ、苦手を理由に拒否反応に応じて、それに向き合おうとしていなかったということに気がついた。

そりゃあ、物事に中途半端に向き合っていたら、そのものを理解することなんてできないよな、物事へと理解とはどれだけそのものに向き合っているかだよな。

ちなみにこの苦手意識がとれたとき、一目散に、書店でちょっとした入試問題を解いてみたら、全問正解できた。

まさに、苦手意識は幻想にすぎなかったと、深く理解できた瞬間だった。

自らの経験は本で読んだり、偉い人の話を聞くよりもなによりも、説得力を与えてくれる。だから、やっぱり自らの経験を通さなければ本当の学びにはなっていかない。

ただ…。

こんな風に…もしかしたら、そういった思い込みはいまもたくさんあるのかもしれない。でも、思い込みなんてものは所詮は幻想だ。

なにがいいたいのかというと、ある程度の思い込みなんてものは変えていけるということである。

ああ、これは自分は思いこんでいただけなんだなということを。
思い込みなんてものはあってないようなもの。

だけどそこに思い込みがあるということは間違いなく良いにしろ、悪いにしろ影響を与えるということがいえるのである。

だから、自らの思い込みに対しては真摯に取り組んでいかなくてはいけない。
向き合っていかなくてはいけない。
逆にいうのであれば、しっかり向き合えるのであれば、大抵のことは克服できる。

もちろん、限度というものはあるかもしれないが、ある程度のものは克服できるのだ。

だから、次に苦手だなと思うときは一度立ち止まってみるといいだろう。
立ち止まって向き合ってみる。

それが苦手意識克服の鍵なのだから。