退化のススメ

近年においての文明や技術の進化というものはめまぐるしいものがある。
平成もあと一ヶ月で終わろうとしているが、昭和が終わる頃と比べると
格段に便利になったといえるだろう。

そして、これらの技術革新や進化というものは止まることはない。
止めることもできないだろう。

だからこそ、いま新しい時代がくるこの時期に改めって、考えてみる必要がある。

今回、考えてみることは、
便利になるということである。

便利になるということは確かにいい。

そして、この便利には中毒性がある。

一度、これらの便利を体験してしまったのであったら、
なかなかもとには戻ることはできないだろう。

しかし、この便利になることは本当にいいことなのだろうか?

そこには、良くない面というのも、存在しているのかもしれない。

たとえば、

電車で10キロ離れた場所にいくとしよう。

もちろん、10キロ程度であれば電車に乗ればすぐにいくことができる。

電車の席が空いていれば、座っている間につくこともできるだろう。

そして、電車がなかったたとえば、江戸時代なんてものを考えてみたら、

10キロ先にいくには、大抵の場合、一般庶民は大抵歩くしか手段がなかっただろう。

時間もそれそうとかかっただろう。

10キロ先につくという結果だけをみたら確かに
時間的にも労力的にも電車の方が良いに決まっている。

しかし、歩いていくということは、それなりに体が鍛えられてくるともいえる。
スタミナもつくであろう。

つまり、人間の成長だったり、進化という意味においていえば、
便利はそれはそれを阻害しているかもしれないといえるのだ。

だ大切なことはものごの本質はプロセスにある。

本当の意味での進化はプロセスにあるということ。

電車に乗ったってなにも、我々が鍛えられる部分はない。

そして、当然これはすべてのことにいえる。
なにも電車だけではない。

この便利になった世の中というのは、我々をある意味において退化させていく方向へ
導いているとも考えることができるのだ。

ということは、われわれが意識的に便利さというのを捨てたとしよう。

つまり、文明においての環境という意味においての進化を捨てるということだ。

そうなると、当然、やることは泥臭くなり、大変になる。

しかし、先ほどの電車の例のように、そこにはある意味においての人間の進化がくっついてくるといえる。

だから、そういう意味において退化をしていかなくてはいけない。

簡単に身に付くということは

それはただ単に、電車にのって目的地にいくようなもなのである。」

そして、これからの人の能力というものはそういうところに差異が現れてくる。

人より抜きに出たかったのであれば、間違いなく意識的な退化を目指すべきなのである。

そして、自ら意識的に退化することによって得た、新しい進化した自分で
文明という進化も使いこなせば良い。

そうすれば、もう鬼に金棒である。

これからの時代に必要なもの、それは意識的な退化なのである。

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