待つということ

壁にぶつかる。
くすぶっている。
突破口が見えてこない。

なにをしていても…。
ただただ、何かを待っているだけの状態がつづいている。

そんな状態でいるときは‥

バス停でバスを待っている。
ということを思ってみるのがいいだろう。

バス停でバスを待つという行為は、決して愚かで無駄な行為であるとはいえない。逆に、バスを待つのは嫌いだと、歩きはじめることの方が愚かな行為である。

もちろん、これからいく目的地が歩きでは遠すぎるという場合ではあるけれど。

このことを考えてみると、一見進んでいない行為というものが、実は進んでいると取られることができることがある。

つまり、待つということは時に前進であるといえる。

さらに言えば、待つという行為は、実は一番速い速度で進んでいる行為であるということすらいえるのだ。

だから、待つという行為は時に、最も適切な行為であるといえるのだ。

だからくすぶって前に進めないとき、
それはバス停で待っていると思えば良い。

ただし、バス停で待つときがあったとしても

できることは以外と多い。

なにか考え事をするにしても、
本を読むにしても、
最近はスマホなんかもあるから、移動しなくたっているだけでも

できることはたくさんある。

人生は有限であるのだから、ただ待っているだけならば

なにかをやってみることだろう。