軽蔑できる感性

自らを軽蔑できる感性は、
自らに信じられる感性と同じくらいに大切な感性であるといえる。

確かに、誰の応援もなんの根拠もなくたって、自らがこれはいけるんだという思いを
信じることは自らを変革することにおいて欠かせない要素であるといえる。

しかし、それだけではダメだ。
それだけではたりないのだ。

なぜならば、軽蔑があるからこそ
このままではいけないと思えるからである。

それはたとえていうのであれば、
山奥で壷をつくっている仙人みたいな人が
自分の創った壷をみて、

「こんなものはダメじゃー」

『ガッシャーン』と

自ら創った壷を地面に叩き付けるものに近い。

そういったものって他の人からみると
なんでこんなにいいものを‥。

と思うところがあると思うんだけど、でも
自らは納得しない。

なにか違うんだよなということで、
こんなもの求めているものではないということで、
そういうことをしてしまうのだと思う。

つまり、本人にしかわからない、そういった自らへの軽蔑である。

とことん自らを軽蔑できる感性、それさえあれば
きっともう一段高いところにいけるはず。