■すべてが正解の世界

ちょっと想像してみてください。

自分がなにをやったとしても
それが正解となる世界ということを。

もしも
そんな世界が存在したのであれば、
もう誰に気を使うということはなくなってくるでしょう。

誰かになにかを言ってこられたって
これはすべて正解なんですと
おしきることが出来るのだから。

もちろんそんな世界はないのかもしれません。
どこにいったって
ルールは存在するし、
なによりも法律だって存在するし、
そんなことがなくたって
人は殺してはいけない。
こんなことはいうまでもないのだが。

だから
なにをやったって正解ということはない。

もちろんそれはそういえる。

そこまで話がぶっとぶと
なにもいえなくなるので常識内
今の自分の暮らしの中で考えていただきたい。

そう考えると
正解なんてモノはないって気がつける。
正解なんてないんだ。
明日会社を休もうがそんなたいしたことではない。
もちろん迷惑はかかるのかもしれないが、
その分なにかに貢献することが出来れば
それがいけないことだといえなくなってしまう。

なにがいいたいかというと
普段暮らしている選択肢の中に置いて
正解なんてなにもないってこと。

正解がなにもないってことは
どんなことをしたってそれを
正解にしていけるということ。

つまりすべて正解の世界をやっぱりつくっていけるってことなんだ。
だからなんにも躊躇することなんかない。
すべて正解なんだから
自分が一番気に入っているものを正解にすればいい。

好きにやっていいってことだ。
すべてが正解の世界は自分次第でつくっていけるということだ。
もちろん限度はあるけどね。