信じるということ

 

最近深く思ったことがある。それは言葉について。

言葉ってやっぱり、凄い力をもっているなと思ったんだ。考えてみて言葉によって誰かを傷つけることってあるけれど、言葉によって誰かを救うこともできる。これはホントだなと改めて思いましたよ。それは包丁みたいなもの、料理に使われりゃいいけど、人に使ったらそれはアウト。そんな感じで。そのものが良い悪いということではなく、それを使う人のモラルだったり、人間性だったりというものが非常に求められるものなんだ。

言葉って不思議だよね。

聖書のヨハネによる福音書にもあるけれど、はじめに言葉があった。言葉は神とともにあったということが書かれてある。なかなか難しい。なんとなくわかるようでいて、説明を求められるとうまくいえない感じ。でもここには真実の香りがただよっている。そんな感じかな。

で、その言葉なんだけれど、最近あることばに救われたんだよな。いやシンプルな言葉なんだよ。一応紹介しておくと

「人には常に可能性がある」

って言葉。ねっどこにでもあるような言葉でしょ。おそらく誰もが一度くらいは聞いたことがあるんじゃないかなとさえ思う。自己啓発本にはオンパレードって感じでしょ。でもね、まーいろいろな文脈から、そしていま取り組んでいる問題を非常に解決してくれる言葉だったんだ、ちょっとだけ説明を加えるとさ、可能性が常にあるということはそこには絶対性があるということ。世の中には絶対はなんて言うじゃん基本的に。だけどこの絶対性ってかぎりなく絶対に近いと思うんだよね。だってさ可能性が何パーセントかいっていないから。100%の可能性があるっていわれたらさ疑う気持ちも出てくると思うんだけどさ、でもこの可能性は1%かもしれない。もしかしたらそれよりも小さい可能性かもしれない。だからさ、可能性があるということにおいては絶対的にそう思えると感覚的に確信ができるんだよね。しかもそこに”つねに”という言葉までついている。これはもう、かなり勇気づけられるでしょ。「人には常に可能性がある」という言葉に絶対的なものがあると感じられるとするとやっぱり勇気は湧いてくるでしょ。それぐらいになにかの絶対性って大事だと思っている。特になにかを信じるということにおいてはそれは非常に大事なんだ。だって、なにかを信じるということについて、そこに疑いが少しでも入ったらダメだから。だから、この言葉がたとえば「あなたは絶対に大丈夫」とかだと信じるという観点からすると少し疑いの気持ちが芽生えやすくなると思うんだよね。だってそんな言葉聞いたら、なにを根拠にって心のだっかでは思うでしょ。よっぽど能天気じゃない限りさ。だから、可能性があるという言葉にはそこにはあくまで可能性というあやふやなものになっている。でもあやふやなものだからこそ、柔軟性があるからこそ疑いなく信じられると思うんだよね。

やっぱり、信じるって大事。信じなければはじまらないとはよくいわれるけれど、歌のタイトルや歌詞で信じるとかビリーブという文字はよく出てくるけど、でもその気持ちもわからないではない。だってやっぱりどう考えたって信じることって大事だからさ。

でももっと大事なのって信じるっていったい”なにを”信じるのって話。そしてそもそも信じることってやっぱりなかなかというか難しいよね。信じるというのはイコール疑いが全くないという状態でしょ。人間関係とかで考えてみてもやっぱり、心の底から信頼できる人ってそんなそんな簡単にはできないよね。だから「人には常に可能性がある」という言葉は一見よくいわれている言葉のひとつのように感じるかもしれないけれどこれはこれにしてすごいと思っている。