理解とは支配

なにかを理解するということは、それはそのまま支配するとういことい近しい。
たとえば、
英語ができる人というのは
英語をよく理解できているとえる。
多少知っている程度では流暢に話したり、難しい文章を読むことはできない。
ネイティブではあれば英語がカラダに染み付くほどにより深い理解ができている。
当然、そういった人は英語を使いこなせる、支配することができる。
これは対人にもどうようのことがいえる。
人が最も喜びを受けるのは誰からから理解を得たとき。
理解とは絶対的な肯定であり、孤独を癒す最大の要素となる。
だからこそ、人は理解されたときにだけ心を許し、
その人に対して好意的となる。
時には、最大の味方になる。
場合によっては、その人を支配することだって可能となる。
このように、
なにかを理解するということは理解することに非常に等しい。
であるならば、
自分に潜在能力があったと仮定して、そのものを発揮していく、支配していくためには
言わずもがな、自らを理解するという結論になるだろう。
ここでのポイントは理解することにある。
知っているというレベルは浅い。
理解には理解度という言葉がある通り、そこには深さの度合いがあるのだ。
だから、
物事をうまくいかせたかったら。
極端な話、あなたにまつわる世界を支配したいのであれば、
物事を
他者を
そして、なにより自分自身を理解していかなくてはいけないのです。